作家のマトリョーシカ

авторскаяを「作家」と訳したのですが、「芸術家」の方がコノテーションを正しく訳すことになるでしょうか?

といいますのも、このマトリョーシカは、近代的な芸術家のようなこだわりある表現だからです。

マトリョーシカは、時代背景と制作スタイルから大きく3種類に分かれます。

1898年頃、ズビョーズドチキンが最初のマトリョーシカを削った時は、「面白半分だった」でしょう。
「ルースキー・スヴェニール・マトリョーシカ」で、サラヴョーヴァはそのように書いています。
試しに作ってみたというところでしょうか。
その後も、いろいろな形の入れ子人形が作られました。
作者が自由に、色々な形のものを作ったのでしょう。

1900年、パリ万博で銅メダルを受賞したマトリョーシカは、海外から多数の注文を受けることになります。
ズビョーズドチキンがマトリョーシカを削ったモスクワの工房では対応しきれなくなります。
こうしてセルギエフ・パサードで大量生産されるようになります。

やがてロシア革命。
革命後ソ連当局は、生産効率を重視します。

大規模木工工場があったのはニジニノブゴロド。
ホホロムスカヤ(ホフロムスカヤ)・ロースピシは、そんな大規模木工工場でした。
キーロフにも、そのような工場があります。
大規模ではないけれど、現在2000名程度の住民がほぼ全員マトリョーシカを作っているというポールホフスキー・マイダンという村もあります。

大規模工場では、デザイナーが作った見本に従って、分業で効率的にマトリョーシカを作りました。
セミョーノフやキーロフの工場は、今もそのような作り方をしています。
ポールホフスキー・マイダンはそんな工場はありませんが、マイダン様式とはっきりわかる特徴があります。
代々この地方は、家族間で、そのような絵付けを伝えてきたのでしょう。

このような画一的大量生産が第二世代のマトリョーシカです。

1991年、ソ連崩壊後に見られるようになったのが、作家(芸術家)がこだわって作る独特のマトリョーシカです。

208年8月(ちょっと古いですが、データを死蔵していました)
ヴェルニサージュでジャンナさんに会いました。
箱根七福神や最後のロクロ職人である田中さんを紹介したら、彼女の写真をくれました。
画像を貼り付けておきます。

画像



これを見れば、作家のマトリョーシカがどのようなものであるか一目瞭然でしょう。
ついでに、私がこのブログシリーズで最初に紹介したマトリョーシカも作家のマトリョーシカです。

この時は、ソ連崩壊後の経済的混乱期で、直接作家の方から随分安く売っていただいたものです。



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