ルースキー・スヴェニール・復活祭卵-2

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復活祭卵のいわれ
 復活祭卵は、十字架で犠牲になったキリストの奇跡的な復活を象徴するものとして、キリスト教の重要な祝祭日に使われます。
 最初の復活祭卵は、聖マグダラのマリアがローマ皇帝ティベリウスにささげたという伝説があります。

 =訳注=
 因みにティベリウス帝は(紀元前42年~紀元後37年)は、初代アウグストゥスに次ぐ二代ローマ皇帝で、在位は紀元14年~37年、つまりイエスが刑死した時の皇帝です。
 ローマは多民族国家ですから、民族の宗教には寛容でした。
 これに対してユダヤ教は、御存知の通り排他的です。
 排他的だから、各人の信仰に寛容なローマの宗教政策と相いれない。
 というわけでローマにとってユダヤ人はやっかい者でした。
 もうひとつ、ティベリウスはあまり庶民の前に顔を出さなかったと言います。人気取りをしない皇帝です。
 というわけで、マグダラのマリアがティベリウスに会ったという話は随分うさん臭いのですが、本書のみならず随所で見られる復活祭卵に関する逸話です。
 話は以下のように進みます。


 救世主キリストの昇天後、マグダラのマリアは福音を伝えるためにローマに来ました。 当時、皇帝に会いに来る人は、裕福な人は宝石を、貧しい人はそれなりの贈り物を持ってくることになっていました。
 イエスに対する信仰以外に何も持っていなかったマグダラのマリアは、「イエスは復活しました(Христос Воскресе)」と叫んで皇帝ティベリウスに卵を差し出しました。これは、当時のユダヤ人の習慣で、貧しい人が祝賀の気持ちを伝えるために鶏卵を贈った習慣に従ったものと考えられます。
 皇帝は、「死者の復活は、この白い卵が赤く変わる以上にあり得ない」と、彼女の言葉を疑いました。ところが、ティベリウスがこのように言い終わるまでに、白い卵が赤く変わったのです。

 装飾された卵は、常にキリスト復活信仰と信者の浄罪による、より良い、新しい人生のシンボルであり、赤く着色された卵は、キリストの血と復活の象徴です。
 人は神聖な戒めに従うなら、救世主と共に新しい償いの人生を歩むことになり、信仰に生きる者は、神が死後に復活させます。
 中に隠されていた生命を誕生させる卵のように、神の子は永遠の命を与えられて、その柩から昇天させられるのです。
 互いに卵を与え合うことで、キリスト教徒は復活の信仰を表明します。
 もしキリストの復活がなければ、使徒パウロが教えた新しい信仰や、私たちの救済も、根拠や価値が無いことになったでしょう。しかし、キリストは自ら最初の復活を通じて神の力と恵みを示したのです。


キリスト教以前の卵

 しかし、なぜ卵は、神の子の、復活の証になったのでしょうか。
 古代、卵は魔術的なものだったようです。
 キリスト教以前の時代の古墳や墓地遺跡から、大理石、粘土等の、様々な素材で作られた卵が発見されています。
エトルリアの墓の発掘時には、時々、彫刻の卵や本物のダチョウの卵が発見されました。それは、生命やその再生、あるいはこの世に存在するすべての起源のシンボルでした。

 東方の文化では、混沌が支配した時代があって、全ての生命の起源としての混沌が、巨大な卵に隠されていると考えられました。
 火災が卵を温めて、創造を促しました。
 神の火のおかげで、卵から神話の生物「パン」が現れました。
 無重力は空になり、暗黒の全ては大地になりました。
 「パン」は、天と地に、風、宇宙、雲、雷、稲妻を生成しました。
 「パン」は地球を暖めるために太陽を、「寒さ」を感じるために月を作りました。
 「パン」のおかげで、太陽が地球を温め、太陽に照らされて月が輝き、惑星や星が生まれました。

 「パン」または「パーン」と記されるギリシャ神話の神は、このような天地創造神話の他に、牧羊神と訳される逸話から、突然家畜が騒ぐ現象を「パン」と関連づけて「パニック」と呼ぶようになった話、「凡」を意味するギリシャ語の「パン」と混同されたことから性的な含意をもつ話など様々な話があります。
 その中に、このような卵から生まれて天と地を作ったという話もあるのです。

 古来、卵は、春の太陽、人生、喜び、温かい光、自然の再生、霜や雪や寒波からの解放、あるいは、無からの生成のシンボルでした。
 いつの頃か、異教の神へのささやかな贈り物であった卵を、新年や誕生日に友人や世話になった人に贈る習慣ができました。裕福な人は普通に装飾された卵の代わりに、しばしば太陽を象徴する、金色の卵を贈りました。

 古代ローマ人は、お祝いの食事を、焼きたての卵から始める習慣がありました。それは、新規事業の成功を象徴していたのです。

 ビザンチンの神学者と哲学者であったダマスカスのヨアン(Иоанн)は、天地が卵のようだと言いました。殻が空、薄皮が雲、白身が水、黄身が大地です。

 無生物である卵は、精神や運動と発展の可能性を含んでいて、そこから生命が誕生します。
 伝説によると、卵は、死者にさえ、生命の息吹を感じさせ、生きる力を与えます。
 卵の奇跡的な力で、同時に生きているかのように、死者と接触することができるという原始的な信仰もあります。最初にもらった復活祭卵を墓に置けば、死者は、悲喜こもごも、現実生活に戻ったようにコミュニケーションに参加できるのです。

 そもそもマグダラのマリアが卵を皇帝ティベリウスに贈ったこと自体がユダヤの習慣であったこと、さらにギリシャ神話に卵のことが描かれていること、その他キリスト教以前の信仰に卵に関する伝説があることは注目に値するでしょう。

 装飾した復活祭卵に関する最初の記録は、ギリシャのテッサロニキの近くにある聖アナスタシア修道院の図書館で、10世紀に羊皮紙に書かれたものが発見されています。
 修道院長は、教会憲章の写本の末部に、復活祭の祈りの後で卵の祝福を読み上げ、それからそれに続く言葉と共にそれを同胞に与えます。13世紀に成立したフォティウス教会規則によると、復活祭に赤い卵を食べない修道士を、伝統に反するという理由で罰することができました。
 このように、復活祭で卵を与える習慣は、マグダラのマリアが最初に信者の喜びである贈り物をした、古代ローマの時代にさかのぼります。

ロシア復活祭卵の発展

 ロシアの復活祭は、10世紀後半に導入されました。正教会では、春分の後に来る、最初の満月後の日曜日に復活祭を祝います。
 ロシアの卵を贈る儀式は異教の時代と呼ばれるキリスト教伝播以前からありましたが、今はキリスト教信仰の神聖なお祭りになりました。そこでは、ケーキ、チーズ、染色卵などが使われます.....

 復活祭まで卵は種まきを待つ小麦の種と一緒に穀物槽に保存されました。
 復活祭は春と共に来ます。
 この日のために、ゆで卵を様々な色の、古来の花柄で装飾しました。
 その花は、キリスト教以前に崇拝されたヤリーロ(Ярило)という神のように、緑の上に配置されました。
 麻繊維の屑に種子をくるんで毎日水をそそぐと、復活祭の頃に発芽します。温室は、このように発達しました。
 全ての料理の上に春、熱、火災、生命、愛を意味する卵を置きます。
 ロシアの民俗伝統の研究者であり収集家であるY.P.ミロリューロフ(Ю. П. Миролюбов)によると、復活祭は常に普遍的で包括的です。
 この日に、暖かさ、空、大地の母、見知らぬ人等、全ての幸がもたらされます。
 キリスト復活祭は、自然の復活、生命の更新です。

 ロシアの春は、特別な優しさ、暖かさで特徴づけられ、その時に来る復活祭こそ人生の恵みなのです。なぜなら死滅はないからです。死滅は、三日目に墓からよみがえった男によって否定されました。

 すべての国が独自の祝日を持っていますが、祝日は重視される度合いが異なります。
 ロシアでは何世紀にもわたって、このような聖なる復活祭を祝ってきました。教会の祭典は本当に壮大なものです。
 復活祭が近づくと、教会は徐々にキリスト復活を祝う準備を進めます。
 復活祭前の一週間は、宗教的な緊張の高まる毎日です。
 復活祭に着色した卵を交換する伝統は、ロシアに深く根づいています。

 ツァーリ、アレクセイ、ミハイロヴィッチ(Алексей Михайлович在位1645年~1676年)の治世に復活祭で配る37000個の卵を調理したことが知られています。鶏、白鳥、鵞鳥、鳩、家鴨の自然卵と共に、木や象牙で作られた彫刻卵が着色されました。もちろん、木、骨、磁器、ガラス、そして石製卵のサイズは、自然な卵の大きさでした。

 1664年に、セルギー三位一体修道院の装飾芸術家イワノフ・プロコピイ(Прокопий Иванов)が卵を装飾するためにモスクワに召喚されました。二年後、彼は170個の、様々な下塗りに金描で美しい植物模様をあしらった木製卵のサンプルを宮殿に届けました。
 有名なイコンの画家セルゲイ・ロシュコフ(Сергей Рожков)の弟子、イワン・ペトロフ・マシュコフ(Иван Петров Масюков)は旋盤で削った木製卵に二重の金描で卵を飾りました。
 アルメニア王室画家ヴォグダン・サルタノフ(Богдан Салтанов、1630年~1703年)は1675年の復活祭に際して、様々な地色に金色の植物模様を描いた、鵞鳥の卵を5つ、家鴨の卵を7つ3枚の皿に盛って、更に40個の卵を雲母ケースに入れて、アレクセイ・ミハイロヴィチに、捧げました。
 1667年に、武器庫の、ほぼすべて職人がフョードル帝のために、復活祭の卵を作りました。
 1680年に、ボグダン・サルタノフはクレムリンの教会のためにタフタの布地にアップリケでイコンを描き、庭に50個の装飾卵を置きました。
 1690年2月、イコン作家シモン・ウシャコフ(Симон Ушаков)の弟子ヴァシリー・クズミン(Василий Кузьми)と、王室画家ニキフォール・バーヴキン(Никифор Бавыкин)は、鶏、家鴨、鳩の卵を模した木製旋盤細工の卵に多様な彩色を施しました。

 1694年、武器庫の傑出した画家フョードル・ズーボフ(Федор Зубов)の息子たちで、後のロシア歴史版画学校の創始者になる、イヴァン(Иван)とアレクセイ(Алексей)が卵に絵をつけました。

 18~19世紀、芸術的に装飾された復活祭卵は、ロシアの様々な階層間に大きく広まり、この頃から装飾と民芸の独特の形について語ることができるようになりました。
 この頃、高価な宝石卵と簡単な農民卵を意味する「ピサンキ(писанки)」と装飾卵を意味する「クラシェンキ(крашенки)」などの伝統が育ちました。
 宝石で作る復活祭の卵が時代と共にその表現様式が変化したのに対して、農民の「ピサンキ」「クラシェンキ」と呼ばれた装飾卵の表現様式は、あまり時代の影響を受けませんでした。

 《訳注》
 ピサンキ、クラシンキの語尾「キ」は複数形です。
 単数形なら「ピサンカ」「クラシェンカ」です。
 グーグル検索で「ピサンカ」と打ち込むと「もしかしてピサンキ」と返ってきます。そこでピサンキと打ち込むと、複数の装飾卵の画像が見られます。日本では「ピサンキ」という呼び名で装飾卵を描く趣味が広がっているようです。
 ただしロシア語なら「писанка(単数形)」でも「писанки(複数形)」でも、どちらでも同じような画像のページに飛びます。
 因みに「クラシェンカ」「クラシェンキ」は、日本語ではヒットしません。
 ロシア語なら、単数形でも複数形でもヒットするのはピサンカと同じです。


 18世紀ロシアの工芸は、何世紀も続いてきた以前のものとは質的に異なり、世俗的傾向が顕著になりました。これは、ピョートル大帝の経済的、政治的および文化的改革によるものです。この時ロシアは西ヨーロッパの芸術的傾向に接近しました。そして、主に絵画と装飾技術が発展しました。

 1703年ピョートル大帝がネヴァ河畔に新しい都市を築き、1712年にロシアの首都を移して以来、サンクト・ペテルブルクは、経済的、政治的、文化的生活の中心となりました。大帝は、新都サンクト・ペテルブルクに必要な、優れた芸術家や職人をモスクワの武器庫から呼び寄せることにしました。1711年、ピョートル大帝は、武具職人、銀細工職人、彫刻家等大勢の職人をクレムリンからサンクト・ペテルブルグに移動させました。この結果1720年代末、武器庫の職人はほぼ4分の1に減少しました。このようにして、美術・工芸の中心は、徐々にクレムリンの芸術工房からサンクト・ペテルブルグに移動しました。こうしてモスクワの武器庫を引き継いだ工房は、新しい首都の芸術生活を主導することになりました。
 18世紀、この工房は、王家と教会のための芸術に加えて、都市計画、彫刻用下書き、軍旗のデザイン等、モスクワのクレムリン内にある武器庫の工房に与えられていたような使命が与えられました。工房の職人は、ピョートル関係書物の装丁、チェス盤、復活祭の卵に描く高官の胸像など多様な業務に関わりました。彼らは卵の他に、建築、家具等様々な装飾に関わったのですが、これらの作品は残っていません。今では想像するしかないのですが、卵は、彫刻を施した、木や象牙の卵に金や銀で加飾したものだと考えられます。

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18
卵「花束」1780年代
製造所不詳
磁器、上絵
芸術産業調査研究所付属民芸博物館(以下「民芸博物館」と略記)
Музей народного искусства Научно исследовательского института художественной промышленности (МНИ)

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19
卵「白地に花」
18世紀後半~19世紀
皇室磁器工場(?)
オパール、ガラス、鍍金、着彩
民芸博物館

卵「アンティーク・カメオ(浮き彫り)」
1800年代
皇室磁器工場
磁器、上絵
民芸博物館

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20
古代エジプト文字と装飾模様のある卵
19世紀後半
皇室磁器工場
磁器、金線
民芸博物館

白地に金線装飾のある卵
1830年代~40年代
皇室磁器工場
磁器、金線
民芸博物館

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21
金地に黒い花冠の卵
19世紀中葉
磁器、金鍍金、銀の絵
民芸博物館

青地に金模様の卵
19世紀後半
皇室磁器工場
磁器、金鍍金plating、着彩
民芸博物館

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22
花輪と花冠の卵
19世紀後半
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

十字架と葡萄の蔓のある卵
19世紀中葉
皇室磁器工場
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

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23
花を描いた卵
19世紀後半
工場不明、(グジェリ?)
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

花と苺を描いた卵
1810年~1820年代
皇室磁器工場
オパール、ガラス、着彩
民芸博物館

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24
白地に花と図案文字の卵
19世紀後半
工場不明
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

白地に花と図案文字の卵
19世紀中葉
工場不明(グジェリ?)
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

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25
白地に花束の卵
19世紀中葉
工場不明
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

象形文字飾の中に花束を描いた卵
19世紀後半
A.ポポフの工場(?)
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

青地に花束の卵
19世紀後半
A.ポホフの工場(?)
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

白地に象形文字飾りの中に花束を描いた卵
19世紀後半
A.ポホフの工場(?)
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

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26
白地に蒼い花束を描いた卵
19世紀後半
皇室磁器工場
磁器、金鍍金、スタンプ
民芸博物館

ウェッジウッドの飾りがついた卵
19世紀末~20世紀
皇室磁器工場
磁器、着彩
民芸博物館

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27
使徒ペテロを描いた卵
19世紀後半
工場不明
磁器、着彩
民芸博物館

キリスト復活を描いた卵
19世紀後半
皇室磁器工場
磁器、金鍍金、着彩
民芸博物館

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28
アーチの下の十字架を描いた卵
19世紀前半
工場不明
ガラス彫刻
民芸博物館

復活を描いた卵
19世紀後半
皇室磁器工場
磁器、コバルト釉、金鍍金、ペースト、組紐飾り
民芸博物館

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29
「キリストは復活した」印つき卵
19世紀後半
工場不明
ガラス、着彩
個人蔵

「忘れないで」という題名の卵
工場不明
素焼きに絵付け
個人蔵

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30
「キリスト復活」卵
1879年
ルクチン工場
張子、油、金、着彩、ラッカー
民芸博物館

「復活」卵
19世紀後半
ルクチン工場
張子、油、金、着彩、ラッカー
民芸博物館

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