ロシアは燃えていた

 これは、ささやかな記念のページになるでしょう。
 本文は、ニジニ。ノヴゴロドのアクチャブリスカヤ・ホテルから、ホテルの無料接続サービスを使って書き込んでいます。
 写真は、ホテルの窓から見えるヴォルガ対岸の火事です。

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 煙で曇った空に立ち上る煙が見えますか?
 見えないだろうから強引に見せます。矢印の所です。

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 モスクワは、けむっています。
 町ぐるみ煙っていますから逃げようがありません。
 そのまま夜行でニジニ・ノブゴロドへ移動しました。

 8月12日(木)
 現地時間22時(日本時間、13日金曜日、3時)です。
 キーロフへの片道8時間のドライブからホテルへ帰ってきたところです。
 キーロフでは、ニジニのホテルを捨てて別のホテルをとらなければなりませんでしたが、おかげでマトリョシカ工場やディムカ玩具作家に会うことができました。
 明日もう一度セミョーノフへ行きます。
 週末は、モスクワへ移動します。

 8月16日(月)モスクワ、イズマイロヴォ・ヴェガ・ホテルでもインターネット無料接続サービスが利用できました。
 出版社と博物館と知人を訪問し、まもなく帰国です。

 以下帰国後、改めてこの旅行の概略を書き加えるものです。
 取り敢えず地図から・・・・


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 マウスで簡単に作った略図ですので、おおまかな位置関係を示すものとご理解ください。



 さて、セミョーノフが新聞やテレビでニュースになったのは、今回の森林火災と、少し前のマトリョーシカ産業不振の問題でした。
 筆写にとっては、少し前に報道されたマトリョーシカ産業不振の方が問題でした。

 新聞記事は、
 「マトリョーシカ産業も日本への輸出を重視している」 
 「日本が不景気になって、セミョーノフも深刻である」
 というようなものでした。

 筆写が最初にセルギエフ・パサードを訪問したのが1997年。
 その後、2007年、2008年にセルギエフ・パサードを訪問した時、1997年に訪問した工場は無くなっていました。
 労働者・農民・赤軍ソビエトという懐かしい名前の工場が改名した玩具製造第一工場は残っていましたが、もうマトリョーシカを作ることはやめていました。
 というわけで、唯一見つけたのがスヴェニールという工場。
 以上については、すでに何度か書きましたので、興味があればそちらを御覧ください。

 セミョーノフという町は、ニジニ・ノブゴロド州のマトリョーシカ産地です。
 筆写は、マトリョーシカのような玩具は、資本主義の合理的な生産システムには耐えられないと考えるものですから、今回のマトリョーシカ産業不振のニュースと森林火災のニュースは衝撃的でした。
 玩具製造第一工場のように、生産をやめる虞があるとすれば、その前に見ておきたい。
 そんなわけで、ニジニ・ノブゴロド方面を訪問することにしました。

 当分この旅行を本ブログで整理していきますが、まず以下に、旅程を簡単に紹介しておきます。 

8月8日(日)
 日本時間、9時30分、関西空港発
 ロシア(モスクワ)時間、17時15分、シェレメチボ、ターミナルF着予定。
 実際はアエロフロートが遅れたので、18時を過ぎていました。
 モスクワ時間(以下全て現地時間)23時35分、モスクワ、カザン駅発(夜行)
 ニジニ・ノヴゴロドへ向かいます。 


8月9日(月)
 6時30分頃、ニジニ・ノブゴロド着
 7時頃、ニジニ・ノブゴロド、オクチャブリスカヤ・ホテルチェックイン。

 日本や西側のホテルは、普通午後にチェックインですから、夜行明けの早朝に部屋で休息できるのは有り難いことでした。

 小休憩の後、すぐにセミョーノフへ向かいました。
 約70キロメートル。列車で1時間強です。
 ここで、博物館を見学し、更に北方約20キロメートルのメリノボ村を訪問しました。
 マトリョーシカをニジニ・ノブゴロドにもたらしたマイヨーロフという旋盤工の住んでいた所です。
 その後、セミョーノフに戻って、セミョーノフの旋盤工に会って、ホテルに戻りました。

8月10日(月)
 ニジニ・ノブゴロド州には、セミョーノフやメリノボの他に、ニジニ・ノブゴロド市南方約250キロメートルの所に、ポールホフスキー・マイダンやクルチェッツというマトリョーシカの産地があります。
 これも、できれば、訪問したかったのですが、同行しているモスクヴィッチのアレクセイが森林火災や道路事情を理由に、随分抵抗します。
 「行くのが難しい」
 と言うのです。

 仕方がないので、8月10日は、ニジニ・ノブゴロド市内を徘徊し、情報を集めることにしました。
 ニジニ・ノブゴロドのクレムリを見たり、駅に行ったりしたのですが、結局オクチャブリスカヤ・ホテルにあるインツーリスト・オフィスが答えをくれました。
 「列車で往復することはできないが、タクシーならキーロフへ行ける」
 「キーロフ観光にどのくらい時間をかけるかによるが、帰りはそれほど遅くならないだろう」
 ということです。

 キーロフは、ニジニ・ノブゴロド州北東隣にある州であり、その州都の名前でもあり、ここがもう一つの大規模なマトリョーシカの産地なのです。
 筆写としては、ポールホフスキー・マイダン訪問を切望しており、逆にキーロフは遠すぎて、今回は無理だと諦めていたのですが、行けるならそちらでも良いと考えました。

8月11日(火)
 インツーリストが紹介してくれたバラットという運転手が2ボックス、ディーゼルのベンツで来てくれました。
 キーロフまでは、600キロメートル。到着した時、工場は閉まっていましたから、グーベルンスカヤというホテルに泊まることにしました。

8月12日(水)
 早朝から訪問したキーロフのマトリョーシカ工場は歓迎してくれました
 ついでにディムカというこの地方特産の玩具作家に会いました。

8月13日(木)
 改めてセミョーノフを訪問しました。
 この日訪問したのは、ホホロムスカヤ・ロースピシと、セミョーノフスカヤ・ロースピシという2つの工場、そして旋盤工のヴィクトルさんです。

8月14日(金) 
 後はモスクワへ夜行で帰るだけです。
 クレムリやクレムリ内の博物館を見学し、夜行でモスクワへ向かいました。
 夜行列車でカザンを見学した日本人と一緒になりました。
 この方は、私より少し早くモスクワに来られたそうで、その時はモスクワの泥炭火災の影響で、「よく無事着陸できた」と思うほど、空が曇っていたそうです。

 日本では8月8日~9日に随分ひどい状況が報道されて心配させたようですが、この方の話を総合すると、私は、少しましになりつつある時期にロシアを動き回ったようです。

8月15日(日)
 7時頃、夜行列車でモスクワに着きました。
 モスクワ、イズマイロヴォ・ヴェガ・ホテルも、到着次第、早朝からチェックインできました。
 
 今回の旅行には、地方のマトリョーシカ工場を見学する他に、昔世話になったロシア人のGさんを訪問することと、私が訳した「ルースキースヴェニール・マトリョーシカ」という書物の出版社とマトリョーシカ博物館を訪問するという目的がありました。

 後者は通訳が必要ですが、Gさんは、日本語を話すので通訳はいりません。
 というわけで、アレクセイには、休養して頂くことにして、この日は、単独で動くことにしました。

8月16日(月)
 インテルブック・ビジネスという出版社と、マトリョーシカ博物館を地下鉄と徒歩で訪問しました。
 少し疲れが出たのか、歩くのが困難になったのでタクシーでホテルに戻りました。

8月17日(火)
 あとは、帰国するだけですが、フライトは21時35分の予定なので、プーシキン(名称)美術館と、戦勝公園の兵器の博物館を見学など、うーんと長い時間潰しの果てに、インチョン経由で帰国しました。 どういうわけか、モスクワ~インチョン間はビジネスシートでした。
 久しぶりのビジネスシートは、やはり快適でした。

 概ねこのような旅行をしました。
 次回から、順に詳しく紹介するつもりです。






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    Excerpt: 2日前に、以下のようなメールをいただきました。 そのままコピペしたらどうなるか ということで Weblog: ROKO racked: 2018-03-29 06:40