ROKO

アクセスカウンタ

zoom RSS まとめ直してみました

<<   作成日時 : 2009/08/23 02:10   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 1 / コメント 0

画像

 筆者のろくろ初体験です。鳴子の松田工房さんでお世話になりました。
 自分で削ってみて、一寸感じるところがありました。
 というわけで、マトリョーシカ、箱根七福神、ろくろの作品などについて、今まで書いてきたことをまとめ直してみます。

 筆者のろくろ体験から始めます。
 筆者が削っているのはコマの軸部分です。太い木から軸の太さまで削る作業です。
 大事な部分はさりげなく手を入れて下さいました。
 最後にコマの先端部分を切り離す作業も体験させて頂きました。
 最後の切り落としは難しいと考えていたのですが、コマの斜面は既に削られていましたので、刃は斜面に従って先端が尖るようにスッと滑りました。作業の易しい部分、しかも体験の実感を味わえる部分を体験させて頂きました。見事なものです。

 刃物は陶芸の裏削りに使うカンナと外観は全く異なりますが、刃部が直角になっている点では同じです。その直角の部分を材木に当てて削ります。
 「直角部分が当たっていないから巧く削れない」と指摘されました。
 わかっているのですが、柄が長くて、刃が木材に当たる感覚がつかめませんでした。

 もうひとつ書き加えます。
 筆者も木彫を多少たしなみます。
 人に教えるとき一番気になるのが刃物です。
 下手に使われると手入れが大変です。
 
 「刃物を貸すのは嫌でしょう」と尋ねますと、「別の道具だから」とさりげない返事。
 当然とは言え、体験希望者のために別の刃物まで用意されるのは、筆者のような希望者には有り難いことです。
 ということでろくろ体験の話はこれでおしまい。

 鳴子はこけしの産地です。
 本当はこけしを撮影しなければならないのですが、マトリョーシカの話をしている内に、七福神の話になりました。

画像
 こけしの松田工房さんで撮影させていただきました。
 入れ子七福神です。
 「それぞれの特徴を描かなければならない」とおっしゃいました。
 確かに七福神のそれぞれの特徴が描かれています。
 非売品です。
 「売る気になれば数万円になる」ともおっしゃいました。
 数万円では、買い手がつきにくい。
 売れる値段にすると職人さんがやっていけない。
 日本の工芸の悩みでしょう。
 「頼まれて白木のマトリョーシカに絵付けしたこともある」
 「白木のマトリョーシカはしっかり削られていた」ともおっしゃいました。

 さて、何故入れ子七福神かといいますと、それがマトリョーシカ誕生時参考にされたという説があるからです。
 そんなことを今までたくさん書きなぐってきました。
 あまりたくさん書いて自分でも読み返したくないほど煩雑になりましたので、過去のブログから画像を再掲して要点をまとめ直します。

画像
 まず、モスクワ郊外約70キロメートルにあるセルギエフ・パサートという町の玩具博物館に展示されている最初のマトリョーシカです。1898年〜1900年に、ズヴョーズドチキンが削ってマリューチンがガッシュで着色した最初のマトリョーシカです。
 最初のマトリョーシカを作った人たちは、それが、後に、そんなに有名になると予想しなかったから、細かなことは覚えていないと発言しています。だから正確な誕生時期は周辺事情から絞り込まざるを得ません。
 1898年は、ズヴョーズドチキンがアナトーリ・イヴァノヴィッチ・マーモントフの工房に就職した年です。つまりそれ以前にマトリョーシカを削ることはできません。
 1900年は、パリ万博の玩具部門でマトリョーシカが受賞した年です。
 (詳しくは、拙訳「ルースキー・スヴェニール・マトリョーシカ−1をご参照ください。)
画像

 次に、最初のマトリョーシカが削られたとき参考になったという、玩具博物館に展示されている、伝説のフクルマです。
 箱根七福神という説明はありません。しかも5つしかないから、これでは五福神ですが、後に示すように、箱根七福神に間違いないでしょう。
画像
 玩具博物館の七福神に関する説明部分です。
 3行目左、アンダーライン部分が、フクルム(フクロクジュ)と書かれた部分です。
 2008年にこのような説明が加わりました。
 次の行に「彼の名前は、幸=福、成功的な報酬=禄、長寿=寿」と説明が続きます。
 (この画像は、このページのために新しく作りました。)

 先に日本語に訳して紹介したサラヴョーヴァ女史のルースキー・スヴェニール・マトリョーシカという書物では、フクルマがマトリョーシカのモデルになったと紹介されています。ロシアのマトリョーシカに関するサイトでも、これが多数説です。

 ルースキー・スヴェニール・マトリョーシカという書物は1997年に出版されたのですが、2008年にマトリョーシカ博物館を訪問したとき、まだマトリョーシカを紹介する書物として使われており、販売もされていました。ロシアでマトリョーシカを語る上で、まだまだ重視される書物であるようです。
 ただ、1997年は、ソ連崩壊後の経済的大混乱からロシアがようやく立ち直り始めた時期で、この書物も慌ただしく執筆された印象を否めません。
 サラヴョーヴァ女史自身が、後に執筆したルースキー・スヴェニール・イグルーシカ(玩具=この場合主に人形を紹介する書物になっています)の中で「マトリョーシカ誕生にかならずしも日本からの人形は必要なかった」というような記述をしています。
 サラヴョーヴァ女史は2001年に開設されたマトリョーシカ博物館の館長だったのですが、残念なことに2006年に亡くなられました。娘さんがいらっしゃいますが、まだ連絡はとれていません。というわけで、彼女が書いたフクルマ(箱根七福神)マトリョーシカモデル説は今のところ確かめようがありません。

 七福神、マトリョーシカモデル説に最も懐疑的なのは、これも筆者が本人の許可を得て日本語訳で紹介している文ですが、サンクトペテルブルグ在住のソートニコワ女史の「誰が最初のマトリョーシカを考案したか」というエッセイです。 このエッセイの中でソートニコワ女史は、マリューチンが絵を付けたということまで疑っていますが、それはさておいて、ズヴョーズドチキンが「雑誌で蓋の開かない人形を見かけた」と発言した記録を紹介しています。
 そうなると上の五福神の後ろにある丸いオカメのような像が気になるところですが、博物館の職員もその辺はよくわからないようです。

 セルギエフ・パサートは古くからの木材工芸の発達した町です。
 最初のマトリョーシカはモスクワの工房で誕生したのですが、この工房は見本工房でしたから大量生産はできません。「だから古くから大勢の職人が活躍していたセルギエフ・パサードが多量な外国からの注文に応じることになった」というのが玩具博物館職員の見解です。
 フクルマはどうかといいますと、1932年に玩具博物館にもたらされたと記録されています。
 玩具博物館はバルトラムという人がモスクワで創設したのですが、彼の死んだ1931年にセルギエフ・パサードに移転し、今日に至ります。
 フクルマが玩具博物館に収蔵されたのは、その翌年です。「それまでは」という筆者の質問に「パレノフという画家が所有していた」と博物館の職員が答えてくれました。

 最初のマトリョーシカはモスクワのジェーツコエ・ヴォスピターニエ(子育て)という工房付き売店で作られたのですが、この工房の持ち主がアナトーリ・イヴァノヴィッチ・マーモントフ、その弟が鉄道王で、モスクワ郊外のアブランツェヴァの邸宅に芸術家を集めて支援したサヴァ・イヴァノヴィッチ・マーモントフ。画家パレノフもこれに関係する画家です。
 ということで、この芸術家サークルやマーモントフの奥さんが箱根七福神を見てマトリョーシカ創造に関わったという話になります。
 だから箱根七福神とマトリョーシカは無関係とは言えないようなのですが、ここから細部がはっきりしないのが実情です。

 ということにしておいて、以下筆者が集めた画像を再掲します。

 他方箱根の方ですが、ただ一人、田中一幸さんというろくろ師が七福神を作っていらっしゃいます。もう一人の方が2006年に廃業され、その作品が田中さんのところにもたらされていました。これがセルギエフ・パサードのフクルマにそっくりです。
画像


 田中さんは「ひとつひとつの見分けがつかなければならない」ということで独自のデザインで作られますから、セルギエフ・パサードに保存されているものとは多少意匠が異なります。
画像

 ここまでの画像の詳細については下記をご参照ください。
 http://drab.at.webry.info/200807/article_2.html

画像

 箱根関所跡では、こんな入れ子ダルマも販売されていました。
本画像の詳細は下記をご参照ください。
 http://drab.at.webry.info/200807/article_1.html

 話の種にもって行ったら、ロシア人関係者の関心を引きました。
 というわけで田中さんの七福神は、マトリョーシカ博物館に展示されることになったわけです。
画像

 ついでだから、マトリョーシカ博物館の建物も再掲しておきます。
画像

 マトリョーシカ博物館の詳細は下記をご参照ください。
  http://drab.at.webry.info/200808/article_8.html

 というわけで、筆者は日本の七福神にこだわってきましたので、こけしの松田工房で入れ子七福神を見かけたことは、感激でした。

 ところで、今回、七福神は岩下こけし資料館や遠刈田の資料館でも見かけました。
画像

 中央の大きな像は、鳴子こけしの胴体と頭の接合方法を説明する断面図です。頭部をこのように胴体に埋め込むから、頭を回すとキュッキュッと音がするのです。本来この写真はこの説明がメインです。
 でも筆者が興味を引かれたのは、手前の丸い相似形と、その左の円筒状の作品です。
 下に円筒状の作品を拡大します。
画像

 お店の方に確かめていただいたのですが、これは単体で、入れ子ではありません。
 何の神像かたしかめませんでしたが、これだけ頭が長いと福禄寿でしょう。
画像

 遠刈田ではこのような商品を目にしました。これも入れ子でなく、単体です。
画像

 これも遠刈田で撮影しました。
 入れ子ではないですが、相似形の、積み上げ式のダルマです。

 さて、入れ子のこけしもありました。
画像

画像

 岩下こけし資料館で買い求めました。
 入れ子こけしです。
 2種類ありました。
 複数子持ちの方は、お願いしてお店で撮影させていただきました。
 対象のこけしを見やすいように色を落としましたが、背景はお店の展示風景のままです。
 大きな形の中に同じような小さな形がいくつも入っているクラスター構造はマトリョーシカにもあります。
 これまた興味深いことではないでしょうか。

 頂いたこけしの裏には「弥治郎系、佐藤幸一」と署名があります。
 佐藤幸一氏はネット検索でかかります。
 こけしは頭が大きいから入れ子構造は困難だろうと考えていたのですが、こんなこけしを作る人が入るというのは驚きでした。

 ところで、筆者は、今まで入れ子七福神がマトリョーシカのモデルになったという説にこだわって来たのですが、上のように並べると、入れ子、相似形、七福神をばらばらに考えた方が良いように思えてきました。

 箱根入れ子七福神は、応量器から12タマゴを経て誕生したということです。
 応量器は僧侶の食器です。
 加賀山中漆器の産地で撮影させていただきました。
画像

 応量器です。
 詳しくは下記をご参照ください。
 http://drab.at.webry.info/200905/article_1.html

 このような技術から、1844(天保15)に、箱根湯本茶屋の信濃屋亀吉という人が土産物として12タマゴを作り、それが入れ子七福神に発展したという話です。
画像
田中さんのお店でショーウインドウを撮影させて頂きました。12タマゴです。
 下は田中さんから頂いた入れ子タマゴです。
画像

 実はセルギエフ・パサードのみならず、当時あるいはそれ以前からロシアでは果物の形をした木工ロクロ製品、入れ子タマゴ、ミニチュア食器等が作られていたのです。
 セルギエフ・パサードの玩具博物館には、ロクロ製品のミニチュア食器類も展示されています。
画像

画像
 セルギエフ・パサードの玩具博物館に展示されているリンゴ型容器とミニチュア食器類です。
画像
 これは2008年8月に市場で購入した、中の詰まった入れ子ではない木製タマゴです。
画像
 同じく白木のリンゴ型容器です。
画像
 同じく白木の笛です。
画像
 そして白木の入れ子タマゴです。
 このような物が市場で購入できるということは、それを購入して絵をつける人がいるということです。
画像
 加賀山中漆器の産地で求めたリンゴ型容器です。

画像
 これは、箱根で購入したミニチュア茶器です。
画像
 箱根は寄木の技術もあります。寄木のミニチュア茶器です。
 このようなミニチュア家具や食器も、各地で見かけます。
 これだけ、色々なところでよく似た物を見かけると、単独のモデル説よりも、文化的共通性の方に興味を引かれてしまいます。

画像
 マトリョーシカは、松山、姫ダルマ起源説もあります。
 松山城入り口で撮影しました。
 松山は日露戦争のロシア人捕虜収容所があったのですが、マトリョーシカ誕生が1898年〜1900年であることは確かですから、1905年に終わった日露戦争のロシア人捕虜がモデルを見せることはできません。
 因みに、木工土産物産業が発展していたセルギエフ・パサードで、ヴォルツキーという人が、工人を集めた研究所を作ります。
 これがマトリョーシカの大量生産を引き受けるのですが、後にズヴョーズドチキンもヴォルツキーに招待されてセルギエフ・パサードにやってきます。この年が1905年です。
 ロシア人捕虜が5〜7年遡ってズヴョーズドチキンに最初のマトリョーシカのモデルを見せることができないことはおわかり頂けると思います。
 でも、最初にマトリョーシカを削ったズヴョーズドチキンが「蓋の開かない、尼僧のような人形を見た」と、言っていますから、日露戦争以前にそのような玩具がロシアに紹介されていなかったと断言することもできないわけです。

 最後に日本の安価な入れ子人形の画像をまとめて再掲しておきます。
画像
 京都、嵐山、書画家、城たいがさんのお店で購入しました。
 ご自身でデザインし海外に発注された今日的、日本的デザインのマトリョーシカです。
 詳細は下記をご参照ください。
 http://drab.at.webry.info/200904/article_1.html
画像

画像
 これは一般的なこけしや木製ダルマと同じで、中が詰まっています。
画像
 東尋坊では、このような入れ子ダルマも見かけました。

 もうひとつ紹介します。
 ロシア木工作品の産地であるニジニノブゴロドで、「日本から1000体を超す桃太郎マトリョーシカの発注を受けた」という記事が紹介されています。
 桃太郎の中に猿、犬、雉等が入っています。
 興味ある方は、ロシア語ですが、下記サイトをご参照ください。
 http://www.suvenir.segment.ru/rating/show/3261/
 日本語による概要は下記拙ブログをご参照ください。
 http://drab.at.webry.info/200904/article_1.html
 日本のデザインを、海外なら安く実現できるということです。

 本稿は、親切に対応頂いた松田工房さん、岩下こけし資料館さんへのお礼の気持ちを込めて、筆者のマトリョーシカと日本の入れ子人形に関する取材の現状を、過去のブログの画像を含めてまとめ直してみたものです。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
20100101新春の御挨拶を申し上げます。
新春の御挨拶を申し上げます。 ...続きを見る
ROKO
2009/12/31 21:54

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
まとめ直してみました ROKO/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる