ROKO

アクセスカウンタ

zoom RSS ジョストヴァ(ジョストボ)

<<   作成日時 : 2008/08/27 01:46   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 1

 2017年12月7日一部書き換えました。

 何通かコメントを頂きましたが全て文字化けして読むことができませんでした。
 コメントは、日本語でお願いします。
 Thank you for comments . But letters were changed into unreadable strange characters . It must be "Mojibake" . Please use Japanese .


 2017年12月9日、上記にもかかわらず読めないコメントが書き込まれるため、このページのコメントを受け付けないことにします。

 2008年8月10日(日)イズマイロヴォ訪問の午後、思いつきで、装飾盆の産地ジョストヴォ(ジョストボ)に向かいました。

 と、言っても日曜日です。工房が開いているのでしょうか。

画像


画像

 工場は予想通り休みでした。でも・・・・

画像
 
 警備員が入れてくれたのです。

 先にも書きましたが、絵は作者死後70年で著作権が切れ、そのコピーに著作権は認められませんから、極端な話インターネットから画像をとって、自分のサイトに使えます。
 でも、工芸品は写真家に著作権が発生するおそれがあるので、サイトの作者に断らなければならないおそれがあります。自分で画像を持っておくに越したことは無い。
 それが収集できたのです。
 以下ジョストヴァの作品を紹介します。

画像

 一般的なジョストヴァのお盆です。
 ジョストヴァは、暑さ5ミリ強の鉄板を叩いて成型し、油絵具で絵をつけた盆です。
 鉄盆だから結構重いものです。

画像

 絵付けの空間です。でも、素人用の体験空間かも知れません。
 ジョストヴァの絵付けは日本のトールペイントでも紹介されており、体験学習は、ロシアでも人気があるのです。

画像

画像

 工場内の博物館には、こんなふうに作品がたくさん並んでいました。

画像

 展示室の看板です。

画像

 パレフのような絵付けですが、これもジョストヴァです。

画像

 「これは一寸日本の作品に似ているでしょう」と、警備員氏。
 「むむっ。よく知っている」

画像

 ジョストヴァの作家の写真です。ガラスケースに入って展示されています。

画像

 昔は、こんなふうに自由に絵をつけました。
 絵を描く人と、オルナメント(飾り)を描く人の分業です。
画像

 上の盆のオーナメントを拡大しました。
 箱でも、盆でも、この細かい作業には脱帽です。

画像

画像

 もう1セット紹介しておきます。
 警備員氏曰く
 「昔は自由に絵をつけました。その後、ソ連政府の方針で、絵付けは花柄に統一されました。花柄は写生ではなく、花に見える描き方を開発して、モデル無しに、現実に無い花を描きました」

 ジョストヴァは、寄り道のようですが、実はそうではありません。
 この絵付けもマトリョーシカの絵付けに影響するのです。

 でも、画像はこの程度にしておきます。
 そして、今度は本当に寄り道。
 ジョストヴァの村の風景を紹介します。

画像

 写真左に写っていないのがジョストヴァの工場。
 工場から出て遠くを眺めると、モスクワ・カナウ(チャンネル=モスクワ川とボルガ川を結ぶ水路)です。

画像

 モスクワはソ連時代個人住宅が禁じられていたので、ほとんどが高層の集合住宅です。 でも、地方は個人住宅です。

画像

画像

画像

画像

画像


画像

 こんな田舎町にも児童公園はあります。

画像

 通りの一隅に店を見つけました。
 「この雰囲気が好きだから、遠くから写真を撮らせてほしい」
 と声をかけると、店番の女性が、一寸いやそうな顔をしました。
 「お願いだから」と押し切ると「わかった」という返事。
 でも、遠くから写真を撮っていると・・・・

画像

 店番の男の子が友達を呼んで「一緒に写真を撮ってくれ」と言います。
 だから、少し近寄って撮影しました。

 余談ですが、手前の木の棚に乗っているのは、下がスイカ、上が多分、ウズベキスタンあたりのメロンです。

 男の子が何か言います。写真が欲しそうな。
 私の語学力はここまで、「ムニェー ヌージナ ペレヴォーチク(通訳が必要だ)」
 車で待っているアレクセイを呼びました。

 ポラロイドカメラで写真を撮ってもらった経験でもあるのでしょうか。
 写真がすぐにできると思っていたようです。

 これがタジキスタン人の出稼ぎ労働者。
 女性が写真に抵抗を示したのも、そのような事情からではないかと推察します。
 男の子達と話していると、果物をくれました。
 もう少しゆっくり話して、何か日本からのお土産をあげればよかったと反省したのは、帰りの車の中でした。

画像

 これは停留所です。ジョストヴァは村です。集落を外れると、延々と道だけが緑の中を抜けていきます。

画像

 囲いが傾いています。
 冬は大変だろうと思いました。

 「ロシア人は、集合住宅と一軒家とどちらが好きなの」
 暖房も水道も、絶対に集合住宅の方が良いと思います。
 でも、本音は、一軒家が好きだそうです。


 
 Жостово(ジョストヴァ又はジョストヴォ)は、日本語では、普通、ジョストボと書くのですね。それならロシアの首都Москваは、どうしてモスクバと書かないのでしょう。
 そして、野球で盗塁に失敗したとき、どうして「ランナー、おうと(out)」と書かないのでしょう。
 と言う下らない話は、長くなるので後にして、あちらこちらから仕入た「ジョストボ」情報を書きます。



1 装飾盆としての「ジョストボ」の歴史が19世紀初頭に遡れる。(意外に新しい)
2 「ジョストボ」の盆は、パピエ・マッシュ(張子)から始まった。
3 「ジョストボ」はパピエ・マッシュ(張子)の装飾小箱も作っているのですが、これについてフェドスキノの装飾小箱との関係に言及されている。

 探せばあるものですね、「ロシアの工芸」というようなページを見つけました。
 ジョストボばかりでなく、フェドスキノ、パレフ、ホールィ、ムスチョーラの4つのミニアチュールの産地、グジェリ、ボゴロツコ、ホホロマなどのページもあります。

 ジョストボ博物館の「歴史」「工芸の歴史」「博物館」等の記事に当たりました。

 今回はあまり時間をかけず、点検も丁寧にしていませんので「概ねそのような内容か」程度の軽い見方をしてください。また重大な誤訳を発見された場合、コメントに書き込んで頂ければ幸甚です。


 装飾盆=ジョストボの歴史は19世紀初頭に遡ります。
 古くはトロイツカヤ(三位一体)地方とよばれていた、今日のモスクワ州ミチシシー市の村や町に張り子に絵をつけてニスをかけて製品を作る工房が出現しました。
 ジョストボの絵付盆は、ヴィシニャコフ兄弟から始まります。
 1825年、金属製の盆、乾パン入れ、張り子の盆、小箱、シガレットケース、茶壺、アルバムなどがヴィシニャコフ兄弟の工房の価格表に示されています。
 1830年には、地元の集落で装飾盆の生産が増加しました。
 ジョストボの絵の主な素材は花束です。
 リアルで感覚的なジョストボ職人芸術に見られる独特の自然の形や色は、従来、衣装箱、籠、紡ぎ車等に描かれたロシア民衆の装飾的筆遣いを集約したものです。
 その基本は、古来の、花壇や野原の花を、まとめたり、散らしたり、花輪にしたりして、装飾的に構成するものです。
 画家は、盆の表面に幅広い平筆で構成した花束を描きます。
 花、蕾、葉、茎等で、美しさと表現性を求めて、花束の図案を作り出します。
 ジョストボの花束は、伝統的な黒地に、赤、青、緑で鮮やかに描かれます。
 盆の縁は編み目のような蔓草模様で装飾します。
 最も優れた職人のインスピレーションがジョストボ盆に描かれます。
 職人は、素晴らしい世紀の伝統、つまり豪華で独特の感受性を盛り込んだジョストボ特有の花束描写を引き継ぎます。



 装飾盆を作る工芸は、モスクワからトロイツカヤ(三位一体)地方にもたらされました。
 これは、ある工芸の産地から、その工芸が如何に他の地帯へ伝播するかという、興味深いケースです。
 前世紀末(1790年)コロボフという人が張り子製品を作る作業場を作りましたが、まもなくその作業場をトロイツカヤ地方のジョストボに移しました。
 同じ頃か、少し前、フイリィプ・ヴィシニャコフという人が、同じような作業場をモスクワに作りました。
 彼は、新製品の開発のために徹夜するような、情熱的な人として有名でした。
 彼の息子のオシプは、優れた職人で、1825年頃、父親から離れて、トロイツカヤ地方のジョストボ村に作業場を作りました。
 その品質が評価され、彼の作業場は成長し、見習い制度ができ、他の作業場が登場し成長する温床となりました。
 ここで、張り子の、小さな衣装箱、嗅ぎ煙草入れ、葉巻入れ、盆等が作られました。
張り子の盆は、耐久性がなかったので、1836年にミタワという所で催された展覧会に展示されたシベリアの鉄盆が参考にされました。
 生産者は、脆弱性で信頼を失っていたボール紙(張り子)盆市場に対して、鉄製盆技術習得の必要性を学びました。
 シベリアの鉄製盆は、塗装が困難だという大きな欠点がありました。
 シベリアの盆は危険な劣悪な塗料を使っていたので地元の業者は、これを排除できました。盆は大きな需要があり、生産が強化され、新しい作業場ができました。
今日鉄製盆生産が現れましたが、高齢技術者は依然としてボール紙製嗅ぎ煙草箱も作っています。
 異なった技術が歴史的に関連を持ち共存する興味深い例です。
 とはいうものの、盆作りが優先されます。
 ある特定の形を作る技術を持っていれば、同じ金属を使って他の形を作ることは、さほど困難ではありません。

 こうして、近年、教会の燭台、兵士の帽章等様々な金属製品製造が浸透し、モスクワ市場に現れました。
 このように職人に、さまざまな注文がありました。
 これらの受注は収益もあり、新しい技法ももたらしましたので、古い技法と並んで、新しい技法が獲得されました。
 こうして、モスクワ商人の注文に由来する新しい技法は、様々に分岐して、この地方に根付きました。
 トロイツカヤ地方には6つの村に、ボール紙製品ばかりでなく、鉄や錫の製品がみられます。
 この地区の大部分はシェレメチフ伯爵領でした。


 ジョストボ博物館は世界的にたぐい稀なロシア装飾美術や芸術文化史上意義深い、絵付き盆のコレクションを展示しています。
ジョストボの発展には、いくつかの文化の混交がみられます。
 領主であったシェレメチフ伯爵がフランドル、ドイツ、オランダ、フランス、オーストリアなどの絵画に親しんで育ったことから、農民作家に西洋文化の影響がみられます。
 一方、ヨーロッパのラッカーウェア(絵を施してクリアラッカーで仕上げる工芸品。広い意味では「ジャパン」と呼ばれる漆器もラッカーウェアの一種)には、インド、中国、日本、イランの影響がみられます。
 さらに、ビザンチンに影響されたウラル地方の着彩盆も忘れることはできないでしょう。

このような情報がウェブ上に見つかりました。

2017年12月7日(木)
一部手を加えました。




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
変なコメントが入り続けます。どうしましょう。
drab
2017/12/09 23:36
ジョストヴァ(ジョストボ) ROKO/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる