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新春を寿ぎ、皆々様のご多幸をお祈り申し上げます。 平成20年、2008年はマトリョーシカのルーツを巡る一年でした。 箱根=入れ子七福神ルーツ説、松山=姫ダルマルーツ説、セルギエフ・パサード=玩具博物館、モスクワ=マトリョーシカ博物館等について、ダイジェストでお送りします。 モスクワ北方約70キロメートルにあるセルギエフパサードの玩具博物館に展示されている箱根入れ子人形の七福神です 箱根最後の入れ子人形作家田中さんの七福神です。 モスクワ中心部、最初のマトリョーシカが作られた工房が今はマトリョーシカ博物館になっていて、話の成り行きで、この七福神を館長に差し上げたら、博物館に展示されてしまいました。 帰国後田中さんにはお知らせしておいたのですが、後日改めて連絡を頂きました。 田中さんの知り合いの女性が、偶然マトリョーシカ博物館で、この作品を見かけて、驚いて田中さんに報告されたそうです。世間は狭いものです。 2006年に職人さんが廃業されたため、もう作られなくなったという箱根の入れ子七福神です。田中さんの所に「同じものが作れないか」という相談のために預けられていたものです。 私も2つばかり入手しました。 小さな入れ子七福神です。 ヤフーオークションで見つけました。 東京の民芸の「美里」というお店が、職人さん廃業時商品を買い取られたそうです。 セルギエフパサードに展示されているものと同じ大きさのものは売り切れ、一回り小さなものを購入しました。 その後、奈良のリサイクルショップで大きいものを見つけて購入しました。 随分黒ずんでいます。 100年以上同じようなデザインの入れ子人形が作り続けられ、2006年に終わったということです。 ウィキペディア日本語サイトの「マトリョーシカ人形」のページには、箱根七福神モデル説と同時に、愛媛県、松山、姫ダルマ・モデル説が紹介されています。 というわけで、松山に行きました。 昔の姫ダルマは、木彫でした。その後明治時代にパピエマッシュ(張子)になり、今は布を被せたものが目立つようになっています。熟田津に来た神后皇后がモデルだそうです。 これが布を被った姫ダルマです。 今でも、布をまとった姫ダルマより張子の姫ダルマの方がやや高価です。 姫ダルマは、この地方では、嫁入り道具のひとつで、昔は高価でも売れたそうです。 道後温泉周辺の土産物店で、別の入れ子人形を見ました。 このような入れ子人形を売っていたのですが、姫ダルマ・マトリョーシカモデル説は、話題になりませんでした。あまり意識されていないようでした。 松山城ロープウエイの乗り場に、姫ダルマモデル説を紹介する展示がありました。松山市内で姫ダルマ、モデル説に接したのは、ここだけでした。 箱根の入れ子七福神は、田中さんに後継者がいないから、風前の灯火です。 逆に歴史を遡れば、入れ子人形は、禅宗の入れ子食器である「応量器」から、入れ子十二タマゴ、入れ子七福神という具合に発展したようです。 箱根のサイトでは『天保15年(1844)頃、挽物細工「十二たまご」が湯本茶屋の信濃屋亀吉によって作られ温泉土産として売られました』と紹介されています。 さて、2008年の収穫は以上のようなものでした。 2009年は、国内では応量器を調べたいと考えています。 また、箱根入れ子人形にしろ、松山姫ダルマにせよ、それをモデルにして作れるほどマトリョーシカは簡単なものではないと思います。 むしろ、ロシアの地方にも旋盤細工(ろくろ細工)と、様々な玩具の伝統があって、それを基盤としてマトリョーシカが発生したと考えるべきでしょう。 ロシアのサイトも概ねそのような考え方を発表しています。 そんな意味で、できれば、ニジニノブゴロドの旋盤細工も見てみたいものです。 こうして2008年のダイジェストを書いていると、書き残したことがたくさんあることに気づきました。 応量器、こけし、ニジニノブゴロドの旋盤細工等々、みたいものはいっぱいあるのですが、2009年は、取り敢えずは書き残した情報の整理から始まりそうです。 今年もよろしくお願いします。 |
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